20110911
おそらく、多くの人によって様々なことが書かれたであろう昨日と今日、普段と変わらない土日を過ごしている。妻と息子と遊び、近所の商店に買い物に行き、クラブで仲間とともに泳ぎ、6時間半寝て、起きて本を読み、妻と息子と遊び、自慢のカレーを作り、また本を読んでいる。
本当は閖上に行こうと考えていた。今回の津波被災地の中で、以前にもっとも多く通った地だ。そこにあった自転車道と海浜プールは、子どもの頃から両親に連れて行ってもらい、ロードレーサーに乗るようになってからは格好の練習場所となり、いくつかの大会で何枚かの賞状を手にした場所である。この夏愛用した水筒は、去年の夏に仲間と出たリレートライアスロンで手にした優勝賞品だ。三人で、まるでワールドカップの優勝トロフィーのごとくこの水筒を頭上にかざし、おどけながら喜んだのもこの施設の正面階段だった。佐藤上さんと出会い、別れたのも、この場所だ。
正式名称「名取サイクルスポーツセンター」は今年3月11日の津波被害を受け、現在「閉館中」もしくは「解散」したと聞いている。その措置も、航空写真で閖上の被害の大きさを見れば当然だと感じる。
センターの惨状を見に行くべきかどうか。自分にとって大切な場所であることは間違いない。それならば、やはり見に行くべきなのではないのか。そんな自問自答を繰り返していた。
今日に至るまで、そして今日も閖上に行かない理由。
それは、閖上をこの目で見る自信がないのだ。
3.11以降、多くの人に「現地を見ておいたほうがいい」と言われた。「1000年に一度の災害なんだから」「地元で起きた出来事なんだから」「人にものを伝える仕事に就いているなら」などと、それらのすべては善意の進言であった(と、受け取っている)。ありがたいアドヴァイスであるし、なかには私のフットワークの悪さ、腰の重さを歯痒く思い、背中を押そうとした指摘・苦言であったかもしれない。それらにもかかわらず、私は現場を見ていない。「もし、行くならば」と考えていた閖上にも、今日も足が向かなかった。やはり、自信がない。
私は現地に行き、惨状を見る自信がない。もし仕事で必要があれば、それを理由に行ったと思う。または親類縁者がいて、自分の力が必要だと思えば向かっただろう。しかしそのような状況にはならず、今日まで現地に行く状況も理由も生じなかった。
そんな私が現地に行くことは、自分の中での解釈では(そう、あくまで自分の中での解釈だ)、かぎりなく「見物」に近くなりそうな気がしている。「たとえ“見物”でもいいじゃないか」と自分の気持ちにケリをつけることがどうしてもできない。要は、自分自身にケリをつける自信がないのだ。
阪神・淡路大震災が起きたとき、大学の同級生の多くが現地入りしてボランティア活動に従事した。ゼミやサークルといった単位で参加し、現地入りしてからの役割も整っているというケースも多かった。そんな組織に何のつながりも持たない私と親友のMは、それでも被災地を見よう、現地の様子を直接知ろうと、ある夜二人だけで東海道線に乗り神戸へ向かった。
一泊二日の帰りの東海道線車内。二人ともただ黙って座席に座り、目を合わせることもなかったと記憶している。喧嘩したわけではない。彼とは同じ思いでいた(だからあえて、先ほど彼をこの文章に登場させる際、滅多に使わない言葉を冠した)。
「我々は、なんと無責任か」と。
そして、あれは東京駅だったか、それとも新宿駅だったか、人の数の多いホームで彼が言った「オレたちのような馬鹿に非日常を見物させるために、神戸があるんじゃないんだよな」という言葉。それがずっと胸の奥に残っている。
「責任」という言葉は、今回の震災以降に最も多く考えた言葉の一つだ。報道や本で知る、責任感に満ちた多くの行動や、不便な生活の中で近所や身の回りでもたくさん目にした、責任を持った言葉やふるまい。一方で、責任逃れしているようにしか感じられず、無責任この上ないと思わざるを得ない言葉の数々。残念ながらその多くが、大きな使命を背負う立場にある人からのものだった。それ以外にも、「絶対に乗り越えられる! ずっと応援している!」というある有名人の言葉など、ラジオで耳にするたびにこっちかが心配になるほど無責任に思えた。復興はそう簡単なことではないですよ、ずっと応援するって、何をどう続けるおつもりなんですか、と。
『利他学』(小田亮/新潮選書)という本を読んだのも、震災後多く経験した「利他」という心理の仕組みをもっと知りたかったのに加え、翻って「利己」の心理もその仕組みを深くわかるのではないかと期待したためだ。責任ある利他と、無責任な利己。この極端に対立する二つを比べて見続けたのが、この半年間だった。
できることなら、責任を持ちたいと思う。「責任を持って行動する」と宣言するのはあまりに大きなことだし、それを100%実践して生きることは本当に困難だと思う。また、主観評価ではなく客観評価されるべきものだろうから、他人に無責任と指摘され、「責任をとれ」と言われればそれまでだ。それでも、小さなことからでいい、できる範囲のことからでいいから、責任を持った行動をとっていきたい。それを個人的にでも進めていくことが、無責任な利己に対抗する、唯一の手段であるように思う。
当面の自分の責任。それは、ある約束を守ることだ。その約束とは、震災後にある文章に書いたことで、その時は実現の見通しはまったく立っていなかった。しかし、やっとその一歩めが見え始めている。まだまだ大きな壁がたくさんあるが、なんとか、なんとか、実現させて約束を果たしたい。それが当面の自分の責任であると、震災後半年を迎える今日、ここに記しておく。
この責任を果たすことができれば…と、そもそも責任とは果たしてしかるべきことなのだろうが、やっと自分も「震災後」に身を置けるような気がする。それは、被災現場に行くこと、閖上をこの目で見る自信につながるかもしれない。その時はたぶん「見物ではない」と、自分の気持ちにケリをつけてロードレーサーに乗ることができるだろう。
それまでは、
震災、未だ終わらず。
復興、未だ長き途の最中。