2011年12月30日金曜日

20111230

20111230

先日の、ある友人とのメール(携帯電話)のやり取り。
東京出張の翌日、帰る前に会えたら会おうと約束をしていた。
あいにく都合がつかず、私から断りを入れることになった。

私:「今回は会えそうにないので、また今度の機会にましょう」
友:「わかりました。残念ですが、(私)さんにはいつでも会える安心感があります(笑)」

普段から交わす、珍しくもないやり取り。
ただ、ちょっと考えるところがあり、余計な一文を返した。

私:「嬉しいことを言ってくれてありがとう。
でも、3月11日以降では、そんな安心感の多くが失われてしまったよね。
安心感とは、なんとも脆いものか…」

送信した後、わざわざそんなことを書かなくてもと少し後悔したが、
彼なら誤解なく受け止めてくれるだろうと考えた。
今年痛切に思い知らされた「脆さ」について、
少なくとも共有できる友人の一人と信じているからだ。



26人。
私の母の友人で、宮城県南三陸町に住むHさんは、
3月11日の津波被害によって親戚・友人を亡くした。
皆、普段から付き合いのある身近な人々だ。
その数、26人。

想像できない。
想像しようとして、身近な親戚・知人の顔を思い浮かべ、
彼ら彼女らを亡くしたことを考えようとして慌ててやめる。
大切な人を一人ひとり頭の中で消していくなんて、
いったい何をしているのか、何を考えているのか、と。
そして、「想像できない」とはこういうことなのかと、気づく。

私には想像すらできないことが、Hさんには起きた。
その違いは何かと考える。
考えつくどの答えにもある「脆さ」に、愕然とする。



部屋が冷えたので、灯油ストーブをつける。
この灯油は、昨日巡回販売で買ったものだ。
灯油の巡回販売がやって来る、当たり前。
しかし、巡回車にガソリンが入っていなければ、やって来ない。
3月11日以前であれば、
「売る油があっても、それを運ぶ油がないなんて」
と笑い話にもなりそうだが、
そんなことが3月11日以後には実際に起きた。
あの頃、徒歩通勤の途中に見たガラガラの車道。
そして、まるで黙ってその場にしゃがんでいるような、
ガソリンが(十分には)入っていないクルマの数々。
そして暖まり始めた部屋と、灯油ストーブの音。
なんと「脆さ」に囲まれた生活か。




「絆」という字の呆れるほどの輝かしさに消されてしまいそうだが、
自分にとっての今年の一字は「脆」のように思う。
脆さを知り、脆さに泣き、
今も、脆さに怯えている。

「脆」には「もろい。こわれやすい。よわい」の他に、
「やわらかい」、さらに「かるい。かるがるしい」の意もあるらしい。
(『新漢語林』初版第4刷 鎌田正/米山寅太郎 大修館書店)
「かるい。かるがるしい」の意からも、
3月11日以降の様々な事象(とくに為政や引責の場面で)が思い起こされる。
かるがるしさを知り、かるがるしさに泣き、
今も、かるがるしさに怯えている。



「脆」を克服すること。
東日本大震災があった今年を締める時、
自分に言い聞かせるとしたらこれだろう。
3月11日以降は、「脆」にやられた一年だった。
ただ、その「脆」は3月11日以降に顕在化しただけで、
普段から「脆」は「脆」のまま身の回りにある。
この「脆」をいかに「脆」でないようにするか。
わずかばかりでもいい、コツコツと「脆」を克服していきたい。
それは想像以上に困難なことかもしれないが、
あんな酷いことが身近で起きて、何もしないわけになんかいかない。
なんとかして、「脆」を克服していこうと思う。

「脆」の克服にどんな具体策があるのか、まだわからない。
簡単なことも多そうだが、相当難しいことも多そうだ。
でも、やらずにはいられない。
それが今の正直な気持ちだ。




「安心感とは、なんとも脆いものか…」
と送ったメールには、しばらく返信がなかった。
やはり余計なことをしたと反省し、
言い訳がましいメールを打とうとしたその時、返信が来た。

「たしかにあれ以降、会える時に会うという意識が強くなりました。
でも、(私)さんとは、そういう意味でも、何があっても、
お互いに生き延びてまたお会いできる気がします(笑)。
出張、お疲れさまでした!」

厄介な問いに対して、
こんなに気持ちの良い返し方があるとは。
本当に良い友人を持ったものだ。
そしてふと思う。
この返信の中に、「脆」の克服の大きなヒントがあるのではないかと。