20120101
恭賀新年
2001年12月3日に、下のような文章を書いた。
↓(一部改訂)
ジョージ・ハリスン死去の報は、会社のPCの画面で知った。ニュースサイトの一文、ありふれたフォントの文字で、「さん」付けされたジョージは死んでいた。危篤状態であることは知っていた。実はここ数日、その報を探すようにニュースサイトを訪れていた。それでも、ショックは大きかった。時々刻々更新されるサイトの即時性が、なぜか怖く感じた。その報を見ても、ジョージの身体がまだ温かいかのような錯覚さえ起こした。今ならまだ、頬が赤いままのではないかと。
会社を出て、旧いビルの中にある中古レコード屋へ行った。中古レコード屋とはいえ、集まる客の目的は入手困難な海賊版だ。雑音ばかりでまともに聞けないような海賊版レコードが、この店には大量にある。自分も10年前は毎週のように通い、大枚をはたいてライヴ録音やセカンドトラックのレコードを買い、喜んで聴いていた。そんな年頃だった。
10年前と同じように階段を登り、店に入って驚いたのは、そこにある空気が10年前と全く変わっていなかったことだった。そしてもっと驚いたのは、店の人が僕のことを覚えていたことだった。「あ! 水泳部の部長・・・じゃない!?」店の人の記憶も10年前と同じだった。空いた10年間を話せば長くなるし、何から話せばよいか分からない。「仙台で働いてます」とだけ言うと、彼はニッコリと笑い「そう。ゆっくり見てって」と言ってくれた。
買うものは決まっていた。当時は近寄りもしなかった一般中古の棚。「ALL THINGS MUST PASS」。ジョージ・ハリスン渾身のファースト・ソロ・アルバムだ。レコードでは何回も聴いたアルバムだが、CDは持っていなかった。その日にどうしても必要なアルバムだった。レジに持っていくと、
店員「あれ? もしかして・・・」
私「ええ、さっき知りました・・・」
店員「そう・・・。今日は、聴くんだ」
私「そのつもりで。うん・・・」
少し割り引いた金額で、10年ぶりに僕にCDを売った長髪の店員は、こう付け加えた。
「あの、一緒に来てた背の高い、ソフトボール部のエース、どうしてる?」
二枚組CDの厚みを手に確かめていた僕は、その問いには答えられなかった。
帰りのバスに揺られながら、「ソフトボール部のエース」の顔が頭から離れなかった。元気だろうか? いまは何をしているのだろうか? ・・・もしかして、今日は、僕と同じことを考えているのではないか・・・と。
彼と出会ったのは中学の時だった。高校受験を控えた秋に隣りのクラスに転向してきた彼は、背の高いことが特徴の奴だった。そしてもう一つ、彼は変わった奴だった。同じクラスに友達も作らないまま僕のクラスにやってきて、突然、
「ねぇ、君、ビートルズ好きなんだって?」
「あぁ、そうだけど」
「じゃあさ、今日ウチに来ない? 一緒にレコードを聴こうよ」
変わった奴だと思いながら、放課後に彼の家に行った。夜勤明けだという彼の父親が迎えてくれ、おまけに蕎麦まで茹でてくれた。二人で蕎麦をすすりながらビートルズを聴き、とんでもなく上手い彼のギターに合わせて歌った。途中から、パジャマ姿の父親もコーラスに参加した。もう、一番の友だちになっていた。
彼はビートルズのどの曲を聴いても、ジョージ・ハリスンの凄さについて語った。僕がジョン・レノンの詞に傾倒した聴き方をしているのとは対照的だった。
「ジョージがいたから、ジョンとポールは好きにやれたんだ。あの天才二人をサポートしたジョージは凄い」
「ジョージのリードギターは、キースが言うように下手なんかじゃないよ。ジョンやポールの歌声より前に出ないように、控えめに弾いているだけさ」
「クラプトンに自分の奥さんを取られても、その後も二人と仲良く付き合ったんだ。信じられないくらい心の広い男だよ」
彼のジョージ評は、その後、一緒の高校に進み、彼がソフトボール部のエース、僕が水泳部の部長になる頃までも続いた。そして、彼の影響なのだろうか、僕は初めてのエレキギターとして、ジョージが使っていたものと同じタイプを選んで買った。
彼との付き合いが途絶えたのは、高校を卒業し、違う予備校に通い始めた頃からだった。「いつでも会えるさ」という安心感は、いま考えればあまりに脆かった。途中一度だけ、彼が僕の家に来たことがあった。同居していた僕の祖母が死んだことを道端の張り紙で知り、線香を一本あげて帰ったという。ちょうど告別式で寺へ行っていた僕は、留守番をお願いしていた近所のおばさんからそのことを知った。「背の高いお友達が、線香を一本あげて帰っていった。『合格したら、また会おう』とだけ伝えて欲しいと言っていた」と。その約束を楽しみに勉強に励み、雪解けの時季に僕は吉報を手にした。伝え聞きで彼の吉報も知り、東京に旅立つ準備のなか、彼の家を訪ねた。合格するまでは一度も手にしないと決めていた、ジョージと同じギターを持って。
出来過ぎた話かもしれないが、彼の家には別の人が住んでいた。当然その人も、彼の家族の消息は知らなかった。彼と同じ予備校に通った友人に聞いても、入学したという大学の名前すら2,3あって確かではなかった。むしろ、彼の行方を訊ねられるのは僕のほうだった。彼は、間違いなく僕の親友だったからだ。もう、遅かった。帰省の度に彼の消息を追ったが、時間が過ぎ、辿る糸が細くなっていくだけだった。
長髪の店員が割り引いて売ってくれた「ALL THINGS MUST PASS」を聴きながら考えていたのは、彼がなぜ黙っていなくなったのかではなかった。そんなことは、今となってはどうでもいいのだ。「合格したら、また会おう」という約束だって、あまりに時間が経ち過ぎている。一番気になっていたのは、守られるべきもう一つの約束だ。
ジョン・レノンの死の後にビートルズを知った我々は、「遅れてきたビートルマニア」といわれるファン層だ。そんな我々がはじめて迎えた、ビートルズの死。
「次にビートルズのメンバーが死んだ時には、必ず一緒にレコードを聴こう」
僕と彼は、たしかにそう約束した。場所? 手段? その時の連絡先? そんなことまで決めてはいなかった。携帯電話、Eメール、BBS・・・etc、あの時から飛躍的に進歩した情報伝達技術さえ、いま、まるで無力だ。
しかし、なぜか確信が持てる。ジョージが死んだ夜、彼もこの約束を思い出していたのではないかと。そして僕と同じように「ALL THINGS MUST PASS」を聞いていたのではないかと・・・。彼は、そういう男だ。
U・Mよ、約束は守られただろうか? 僕はジョージのギターを、君を思い出しながら聴いた。久しぶりに聴いた「ALL THINGS MUST PASS」は、切ないながらも力強いアルバムだった。君が昔言った「ロックの最高傑作」に違わない内容のアルバムだと、はじめて理解した気がする。君は正しかった。
4分の2になってしまったビートルズ。あと二回、こんな同じ思いをするのだろうか? いま、もう一度君を探そうかと思っている。U、また会おうじゃないか。一緒にビートルズを聴こう。何かの偶然で、この文章を読んでくれていることを切に願う。いつかまた必ず会えるとは思うが、連絡してくれれば、ありがたい。
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今朝、Uから年賀状が届いた。
彼が祖母にあげてくれた一本の線香以来の音信だ。
今年が良い年にならないわけがない。