2011年6月2日木曜日

20110602

20110602


一週間ほど前のある会合で、僭越ながら披露したスピーチ。
ほぼ原文のママ(のはず)。
備忘録の意味もあると、照れ隠しにことわりつつ。




 
 まずは、皆様方にたいへん大きなご心配をおかけしました。また、たくさんの温かいメッセージを頂戴しまして、誠にありがとうございました。


 おかげさまで、幸運なことに、小会職員・理事、全員無事でおりました。ただ、これは本当に「幸運なこと」でございまして、少しご縁を広げるだけで、お家を無くされた方、まだ避難所にいらっしゃる方、そして命を落とされたという方が、周りには多くいらっしゃいます。私も、友人を一人亡くしました。
 それゆえ、世間でよく耳にする、なんとなくの「復興」や、なんとなくの「がんばろう」、あるいは「日本の力を信じている」という言葉には実感を持てず、簡単には受け入れられない気持ちがあります。それらの言葉が勝手に頭の上をフワフワと飛び交っているような、そんな印象を抱いているのが正直なところです。

 そんな中、被災地にある大学出版部に属する一人として、今回の震災であらためて「本を読むこと」「本を作ること」について考えました。

 被災に遭っているなかで、本はどんな役割を果たすことができるのか。ある人が言うには、ハードカバーの厚い本を開いて頭の上に乗せ、それを紐で括りつければヘルメット代わりになるそうです。特に、我々大学出版部の刊行する本は分厚いものが多いので、良いヘルメットになる。なかなかの妙案ですが、重過ぎて、首が鞭打ちになってしまうかもしれません。少なくとも、被災地の仙台で本のヘルメットをしている人を、実際に見かけることはありませんでした。
 それは冗談ですが、本当の「本の力」を目の当たりにもしました。震災後しばらくして、仙台市内の書店が再開した時です。紀伊國屋やジュンク堂、さらには個人経営の小さな書店に至るまで、本を求めるお客で店があふれるほどでした。定期刊行物を買って、自らの日常を取り戻そうとする人。子どものための読み聞かせの絵本や手遊びの本を求める、一目見て避難所から来たとわかる人。そして、吉村昭さんの『三陸海岸大津波』や震災・原発関連の本を買い求める若い人。みんな本を両手で持ち、胸に抱えるようにして買って帰っていきました。大学を卒業して以来、ずっと出版に関わる仕事をしてきましたが、この時ほど「本の力」を強烈に感じたことはありませんでした。

 本には、力があります。「日本の力を信じている」という言葉を、単純に受け入れていいのかはわかりません。でも、「本の力を信じている」なら、受け入れてもいい。むしろ、声を大にして「信じている!」と言いたい。そう思っています。

 先ほど、なんとなくの「復興」や、なんとなくの「がんばろう」という言葉には実感が持てないと言いました。でも、実感が持てる「復興」や「再生」も、仙台ではたしかに始まっています。その息吹が、仙台の街の中で感じられつつあります。

 仙台は、元気です。

 そんな仙台に、皆さん是非いらしてください。もちろん、その際には小会にも遊びにいらしてください。先日、事務局を片平キャンパス内の新たな場所に移転させたのですが、窓を開けると目の前に、あの魯迅が仙台医学専門学校時代に学んだ、通称「魯迅の階段教室」があります。旧い木造校舎ですが、今回の大地震でもびくともしませんでした。「歴史の強さ」を感じます。その歴史に学び、その歴史に負けないよう、小会も頑張っていきたいと思っております。これからも、どうぞ小会をよろしくお願い申し上げます。この度は誠にありがとうございました。

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