2011年4月1日金曜日

20110401

20110401

 「2月は逃げる、3月は去る」と言うが、2011年の3月も昨日終わった。文字どおり「去られた」あるいは「置き去りにされた」ような感がある。

 例年の3月は年度末の出版ラッシュに追われ、教科書販売のための大学生協納品日から逆算し、土日や春分の日の空白を恨めしく思うほどカレンダーの日のめぐりに頭を痛める毎日となる。しかし、今年はそうではなかった。なにしろ、20点ほど出る予定だった3月の刊行物がゼロ(増刷のみ1点あり)である。印刷会社の作業工程は、311日以降は安否確認・社員自宅待機・電力復旧待ち・印刷機のメンテナンス・紙やインキの確保等々でほぼ止まり、今週からようやく動き始めたといったところだ。各大学の迅速な対応や著者の協力もあり、なんとか5月の連休前までにはすべて刊行できそうだが、いずれの本も綱渡りの進行で油断はできない。今朝も早速、「書籍用紙が通常使用のものよりも若干厚いものになりますが」「見返しに使う紙の色は、自由に選べそうにないのですが」「表紙の紙が発注のものと異なりますが、その紙もいま押さえないと流れそうなのでご相談したいのですが…」という印刷会社からの電話が相次いだ。有難いことに既刊本の売れ行きが良く、運送業者のライン復旧とともに滞っていた注文商品の納品も行なえるようになっているが、新刊書籍が出ないというのはやはり厳しい。

 一方、地元の印刷会社が受けたダメージも相当深刻らしい。ある印刷会社の営業さんが言うには「私が聞いただけで、倒産寸前だっていう同業さんが5社くらいあります」とのことだ。その真偽はともかく、どの印刷会社も苦戦していることは間違いない。
 印刷会社が持つ大きな印刷機は、厳密な水平を保って置かれる。まず、地震でその機械が数十センチも動き、水平を保っていた足場が壊れた。元に戻すと言っても、巨大な印刷機を立てなおし、前と同じように水平を保つのは容易ではない。当然、メンテナンスの専門家を呼ぶことになるが、今回の震災は広範囲の多くの印刷会社が影響を受けているので、その専門家も東日本を飛び回っている状態らしい。ある仙台の印刷会社は、14日に電話が通じてすぐにメンテナンスを依頼したそうだが、来てくれたのは二週間以上経った一昨日だという。
 紙とインクの手配については、「今のところ大丈夫です」「ウチは確保できています」という返事をしてくれるところが多い。しかし、本当に深刻になるのは一、二ヶ月後からではないかと、先々の不安を口にする営業さんもいる。実際は「今後どうなるかわからない」というところが正確なのではないだろうか。 
 自社の印刷機のメンテナンスや修理、さらには紙とインクの確保が困難であっても「他の地域に協力会社がありますから、そこで刷って製本してもらえます」と言う営業さんも多い。しかし、それでは版元から支払われる印刷費をほぼそのまま協力会社に支払うことになり、売上にはならない。「印刷機が回ればお金も回る」という印刷業は、自社の印刷機が回らなければお金は回ってこないのだ。例年なら書き入れ時の3月の売上は、前年比すれば目を疑うものになるのではないかと思う。

 さらに、地元書店も危機にある。仙台市内では既に開店している書店もあるが、地震から三週間となる今でも閉めたままの店が多い。単純に考えて、その間の売上は無い。店内の片付けや掃除のなかで、返品せざるを得なくなった商品も多いだろう。定期刊行物(雑誌類)も、三週間も間が空いてしまえばほぼ総入れ替えになるだろうが、この間に刊行された定期刊行物や月毎に出る新刊(文庫や新書等も)の納品・返品はどうなるのか。いずれにしろ、時間が経てば経つほど売上減は大きくなり、品揃えのための棚管理も大仕事になってくる。再開準備に大人数をかけて一気に再始動へ向かう書店もあれば、ほんの数人、または一人で作業にあたり、休憩時には電卓を叩いて今後の経営に頭を抱えるという書店もあるはずだ。この三週間が、書店間の「格差」を生むようなことになるのは避けたい。
 どこの書店でも買える一般雑誌や、新刊・定番の文庫・新書は、再開までに時間のかかった書店で買う。大きな書店でしか売っていないような本でも急がないものなら、あえて小さな書店で取り寄せしてもらって待つ。そんなことが、街の小さな書店さんの応援につながる。(もちろん、ネットショップや大書店での購入を避けようということでは全くない。誤解のないように)

 仙台駅ビルの「エスパル」内にある書店「ブックスミヤギ」は、本日が営業再開日だった。この店のS店長は、版元の営業担当者・取次店関係者・他の書店員からの信頼の厚い、仙台の書店業界の兄貴分のような存在である。仙台駅の新幹線ホームが壊滅的な打撃を受け、その下の階にある同店も相当の影響を受けたのではないかと、ずっと気になっていた。幸いなことに、地震後に連絡を取り合った地元版元の仲間から、Sさんはじめ同店スタッフの無事は聞いていた。しかし、店のほうはどうなっているのか。
 今日の昼前、さっそく行ってみた。お店に入り、まずはSさんを見つけてガッチリと握手。「三週間前のまんまだけど、週明けから新しいのが入ってくるから、またすぐに忙しくなるよ」と、元気がある。お店も以前と変わりない。ただ、アルバイト従業員の一人が津波で家を失ったそうで、そのことだけはどうしようか思案中らしい。「社員なら見舞金の規定があるんだけど、バイトは何もなくてね。なんとかして御見舞を出してあげようと思っている。そのためにも本を売らなきゃ」。仲間を思い、そのために前を向く姿がSさんらしい。
 311日以降、私は一冊も本を買っていない。新しい本を買って読む余裕も時間もなかったし、はじめのうちは「財布の中のお金はすべて食べ物に変え、妻に食べさせよう。とにかく開いているお店を探し、良い食材を手に入れよう」とだけ考えていた。しかし、それも落ち着き、市内の書店の再開のニュースが聞こえてきたり、逆に県内の書店の厳しい実情が聞こえてきたりすると、「地震後最初の本を、どこで買おうか」という妙な命題が頭の中で膨らんできた。真っ先に浮かんだのがブックスミヤギだった。小規模店ながら男手が少ないし、駅ビル立地で雑誌は売れるものの、その雑誌売上が三週間もゼロになるのはかなり深刻なはずだ。少しでも応援になれば嬉しいし、何より、Sさんがいる。他の市内の書店さんにも本当にお世話になっており、仕事でも個人的にも、可愛がってもらったり仲良くさせていただいている書店員さんがたくさんいる。そのことに優先順位や順番など付けられるわけがないのだが、今回はブックスミヤギで買うことに決めていた。
 「本を買いたい気持ち、三週間我慢してたんですよ。ちょっと見せて下さいね」と言って店内を歩きはじめると、「ホントに新刊が無いんだ。ごめんな。古いのばっかりなんだ」と笑いながら言われた。書店にとって新刊書が並んでいないということは、こちらの想像以上に気が引けることらしい。以前ある書店員さんが、「忙しくて何日も手を入れられていない棚をお客様に見られるのは、何日も同じ服を着たまま外出する感覚に近い」と言っていた。なるほど、わかるような気がする。

 ここ三週間、東北人の読書量はかつてないほど落ちているのではないかと思う。「読書どころではない」というのは当たり前だが、この知的損失は計り知れない。かくいう私も、ここ三週間の読書量はほとんどゼロである。
 大学時代の恩師が、「君たちは、ものを知らない。そんな君たちが厳しい社会に出て、恐れ多くも頭を使う仕事でお金をいただこうというなら、ものを知ろうとすることを止めてはいけない。呼吸をするように、本を読みなさい。朝起きて顔を洗うように、本を読みなさい。君たちはそうして本を読まなくてはいけないのです。それから、『趣味は読書です』なんて、口が裂けても言うなよ。呼吸することを趣味だと言うか? 朝起きて顔を洗うことを趣味だと言うか? 言わないだろう。君たちにとって、読書は趣味になり得ない。読書は、生きるための糧だ」と言っていた。その教えに背いたこの三週間を、どれだけかけて取り戻せばよいのだろうか。多くの東北人に、再び本を読む時が一刻も早く訪れますように。

 本を買った帰り、河北新報社の前で同社の編集委員の知人とばったり会い、20分ほど立ち話をした。その知人は地震後、「余震の中で新聞を作る」と題した読み応えのあるブログをこれまで9回更新しており、まずはその感想を伝えた。現場の記者は11日以降ほとんど休んでおらず、曜日の感覚も年度の感覚も吹き飛んでいるらしい。「311日という日がまだ終わらず、ずっと続いているような感覚すらある」という。これは優れた新聞人ならではの感覚かもしれない。ご本人は出身が福島県相馬市で、東京電力原子力発電所事故の風評被害が本当にひどいとも言っていた。避難についても、こんな状況下で住民に「自己判断」「自己責任」を求めるなんて、許されるわけがないと。
 「河北新報」は、宮城の地元紙として、被災地の避難所への無料配布などもしているのだろうか。それは定かではないが、避難されている方々にとって、毎朝読む新聞は支えになると思う。紙面から知る日々の新しいことは、「昨日とは違う今日」を感じることになる。それが「今の状況は滞ってはいない、前に進んでいるんだ」と、身のまわりの変化(それは「改善」であってほしいのだが)を信じる根拠になるだろう。震災の報道については様々な意見が見られるが、読者のそんな心理にも気づいていてくれればと思う。
 
 人と会い、話をすれば、今回の災害のまた新たな面を知る。「被災地の非被災者」である自分は、この先しばらくはそうやって災害の実像を知っていくのだろうと思う。それは、写真や映像から知ることよりも、よりリアルに心に残っていくような気がする。そしてまた、それらの多くは「この先の問題」として大きくのしかかってくる。
 ある大学出版の先輩のツイートで得た情報だが、宮城県大崎市岩出山の「有備館」の母屋が倒壊したそうだ。旧仙台藩の学問所で、現存する日本最古の学問所建築である有備館。建物の趣はもちろん、庭園の美しさは実に見事である。春の花に夏の青葉、秋の紅葉に冬の雪。その季節の色に囲まれた静謐な佇まいが、多くの人の心を掴んでいる。私も何度も足を運んだ。
 勤務している大学出版の人気シリーズ「人文社会科学講演シリーズ」は、東北大学大学院文学研究科が行なう市民講座を再録したもので、その講座は会場にちなんで「有備館講座」の別名がある。もちろん、上記した有備館のことだ。地元にある日本最古の学問所で、地元大学の研究者が市民向けの講座をするという趣向は、ロマンあふれる素晴らしいものだと常々思っていた。有備館の倒壊が、この講座の今後にどのような影響を与えるのか。これもまた、地震が残した「この先の問題」である。


 仙台では、「これからですね」という挨拶を、今週くらいから交わせるようになってきた。無事の確認と喜び、そして身のまわりの支えと立て直しのあとは、決して楽観できない厳しい今後に向けて、互いに鼓舞し合う。仙台人がいま経験しているこのプロセスは、仙台をまた少し「災害に強い街」にするように思う。


 生活面でも、少しずつ変化が出てきている。今週はじめに水が復旧し、大きな便利を取り戻した。それなのに「早くガスが来れば」「並ばずにガソリンを入れられるようになれば」「通行止めが解除されれば」と、すぐにまた次の便利を求める自分がいる。二週間前の自分に、怒鳴りつけてほしいくらいだ。まだまだ粘り強く、しぶとくやっていこう。
 被災地の非被災者としてようやくここまで来たのだから、残りの「便利を失った生活」は「練習」と思うことにした。いずれまた、全ての便利を失う時が来るかもしれない。大災害はいつでもやってくるし、実際に大きな余震は毎日のようにある。記憶が鮮明な今のうちに、「便利を失った生活」の練習を続けておこう。この日々は、またとない「練習」の日々にできる。本当はまだまだ本番が続いているのだが、「本番は最高の練習」とは水泳から学んだ言葉である。また「練習でできないことが本番でできるわけがない」ということも、「足元に積み重ねなければ、高いところには行けない」ということも、同じく水泳を通して身をもって理解しているつもりだ。そして「練習ハ不可能ヲ可能ニス」という言葉も。これも前に書いた恩師から教わった、小泉信三氏の言葉である。そうだ、今こそ小泉信三著の『平生の心がけ』(講談社学術文庫)を読み直そう。今こそ「平生」を考える絶好の機会なのだ。



 今日「ブックスミヤギ」で購入した本は以下の通り。

①『すべてはどのように終わるのか あなたの死から宇宙の最後まで』
  (クリス・インピー著/小野木明恵訳/早川書房)
②『哲学する赤ちゃん』
  (アリソン・ゴブニック著/青木玲訳/亜紀書房)
③『職業としての科学』
  (佐藤文隆/岩波新書)
④『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』
  (竹田恒泰/PHP新書)
⑤『「患者様」が医療を壊す』
  (岩田健太郎/新潮選書)
⑥『凛とした生き方』
  (金美齢/PHP文庫)
⑦『袖のボタン』
  (丸谷才一/朝日文庫)
⑧『三浦太郎のあかちゃんえほん(全3巻)』
  (三浦太郎/こぐま社)

 ①は前から気になっていた一冊。3.11の後の最初の一冊というのは皮肉になってしまうが。②は目の前に最高のサンプルがいるので。③は職業柄の一冊。⑦は「丸谷調」で綴られる活字に目を通すだけで、きっと心が豊かになれるはず。⑧は息子への最初の本。震災後、営業再開した「ブックスミヤギ」で買ったということも、いずれ教えてやりたい。

 最後になったが、河北新報編集委員の知人による「余震の中で新聞を作る」が読めるブログ「café vita」はこちら→http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/

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